sweet temptation


「エルザ……? 大丈夫ですか?」
夜、もうすぐ夕飯の時間という頃。
二人きりの部屋でクラリーチェは、少し青ざめ苦しげな表情で座っているエルザに声をかけた。
「え?」
エルザはうつむき加減だった顔を驚いたような声とともにあげる。
クラリーチェは身を乗り出し、その顔をじっと見つめる。
青白かったエルザの顔にわずかに赤味が差した。
「な、何かついてるかな」
「いえ。どこか悪いんですの? あまり顔色がよろしくありませんけれど」
「え……と、そうかな」
合わせていた視線をそらすエルザには落ち着きがない。
体の不調を隠そうとでもしているのだろうか。普段からエルザは人に心配をかけまいと辛い事を我慢してしまうタイプではあるが。
自分に対してはそうあってほしくない、そう思ったクラリーチェは少し拗ねた顔をしてエルザに手を伸ばしかけた。
「……っ」
しかしその瞬間、わずかなうめきと共にエルザは顔をしかめ、またうつむいてしまった。
「エルザ、お腹の調子が?」
よくよくみればエルザはお腹を押えている。
その行為と苦しげな表情、導き出される答えは多くない。
「あはは……うん、ちょっとね」
隠す意味もないと悟ったのか、観念したようにエルザは苦笑した。
「あらあらまあまあ。今日は動きにキレがありませんねえと思っていましたけど、そういうことでしたの」
「そんなにわかりやすかったかい……?」

日中、ペトラから指令を受けた二人は次元の歪みの対処にあたっていた。
危険な事態に陥ったわけではなかったが、エルザの動きはいつもより鈍かった。
ほんの些細な差だ、他の人間なら気づかなかったかもしれない。
けれど付き合いの長いクラリーチェはすぐそれに気づいた。
気づかれないようにしているのだろう事にも気づいていたからその場では聞かなかったが、これがもっと大変な任務の際であったなら話は違っただろう。
「無理はなさらないでくださいな。今日くらいの任務だったら私一人でもどうにかなりますし」
「うん、でもそんなにたいした事じゃないから」
「たいしたことないわけ無いじゃないですか、お医者様に行かなくていいんですの?」
「う、うん……その、えっと」
人間でなくなってしまったエルザにとって、普通の医者はかかるにかかれない。
けれど聖霊庁お抱えの医者なら話は別だ、日本にやってきてからはペトラの指名した医師もついてきている。
だからエルザの歯切れの悪さはそういう遠慮の類からくるものではない。
おそらくエルザには心当たりがあるのだろう。
「……何かお腹に悪いことでもしました?」
「…………うん、まあ、ちょっと」
恥ずかしそうにエルザは苦笑する。
「その、勿体無いなって、思って」
「はあ」
「昨日の夜、あんぱんをね……5つくらいいっぺんに食べちゃったのが、よくなかったかな、って」
「……はぁ」
何がどう勿体無ければあんぱんを5つも食べる事態になるのか、クラリーチェにはわからない。
彼女のあんぱん好きはよく知っている、とはいえなにも一日に――それも口調から察するにいっぺんにだろう――5つも食べなくともよいではないか。
「あの、エルザ。貴女は太りづらい体質だと思いますから多くは言いませんが……でも、限度はあると思うんですの」
「わ、わかってる、わかってるんだ! けどその、捨てられるだけの運命を待つあんぱんに出会ったら、あんぱん好きとして放っておけなくて……!」
「え?」
「私だっていっぺんに5つは多すぎるって思った! でも本当はそれじゃ足りないんだ、けどさすがの私も、君の言う通り限度があって……」
「はあ」
「ましてや買ってたことを思い出したのが夕飯の後だったから……よけいにね? もしちゃんと夕飯を辞退してればあと2つくらいは……ああでも、それじゃあ夕飯を作ってくれた人に悪いから、これでよかったのかな……」
「あの、エルザ? 落ち着きましょう? 夕飯を抜いても7つは食べすぎですわ」
「う」
急にスイッチが入ったようにまくしたて始めたエルザをクラリーチェは冷静に制止する。
エルザはばつが悪そうに視線をさまよわせながら、ため息をついた。
「……近くにスーパーがあるだろう? つい……」
「あああの。あそこのパン売り場は種類が豊富ですし、量販店の割りに味もよいのが多いですわね」
「たまたま昨日はあんぱんが結構あまっちゃったみたいなんだ、昨日は少し任務で遅くなっただろう?」
そこでクラリーチェは思い出す。任務の後、ローゼンベルク支部に帰還する途中で立ち寄ったスーパー。
そこでおのおの多少買い物をしたのだが、エルザの持っていたビニール袋はやけに膨れていたな、と。

「……消費期限が昨日のあんぱん、半額以下でさ。売れ残ったら捨てられちゃうんだなと思ったら……その、ね?」
「……はあ、よくわかりましたわ」
多少呆れたものの、クラリーチェは安堵もしていた。
何のことは無い、ただの食べすぎだ。安静にしていれば大事無いだろう。
「んもう、どうせなら言ってくださればお手伝いしましたのに。独り占めしたかったんですの?」
「そんなことはないよ。まあたくさんのあんぱんに埋もれてみたいって、思ったことがないわけじゃないけど」
「さすがにどうかと思いますわ」
「うん、埋もれるより食べるほうが幸せだしね、やっぱり」
「いえ、そういうことじゃないんですけれど……まあいいですわ。それじゃあ今日の夕飯は少なめにとってくださいね?」
お薬ももらってきますから、と続けようとしたとき、エルザは気まずそうにクラリーチェを見上げてきた。
「その、クラリス。私は今日は夕飯はいらないって、言ってきてもらえるかな」
「え? おかゆくらいはお腹に入れたほうがいいんじゃないですか?」
「いや、そうじゃないんだ……」
言いながら、エルザはがさがさと机の下から何やら袋を取り出し、
「……まだあるんだ、あんぱん」
その中身――しめてあんぱ15袋――を、机の上に広げた。
「……うん、反省してるよ。半額以下だからって、消費期限が迫ってるからって、これはやりすぎたな、って……」
机の上に鎮座するあんぱんに呆然とするクラリーチェに、しかしエルザの表情はほんの少し嬉しそうだった。


「……ねえエルザ、キスしましょうか」
「いきなりだね、クラリス。どうしたんだい?」
隣でもぞもぞと寝返りを打ったクラリーチェがエルザの方に体を向ける。
エルザは顔だけを少し傾けて、その潤んだ瞳を見つめた。
いつもならたちの悪いクラリーチェの冗談に慌てふためくエルザだが、今は余裕がないのかさらりと受け流している。
「おなかが痛いんですの、これはきっと食あたりですわ……」
「え!? い、いやその、確かにあのあんぱん……消費期限は切れてたけど」
「食あたりですわ〜、食中毒ですわ〜」
「う……いやでもその、それとキスに何の関係があるんだい?」
クラリーチェは恨めしげにうめく。
あんぱんの処理(というとエルザは怒るのだが)を手伝ってもらったエルザはさすがに気まずい。
「毒は王子様のキスで消えるんですって、えこに読んであげたお話に……」
「ああ、毒りんごの……。でも別に、君も私も死んでないし王子様にもなれないと思うんだけど……」
「エルザは私にとっての王子様なんですの〜、それでも私は構いませんわ〜」
「は、恥ずかしいよクラリス……」
恥ずかしげも無く言うクラリーチェにさすがに視線を合わせていられなくなり、エルザは天井を見つめる。
天井がぼんやりとと霞がかって見える。体が熱いのは体の不調のせいか、それともまた別の理由か。
「……エルザだって、苦しいんでしょう? エルザが私にキスしてくれたら、私がエルザにキスして毒を消して差し上げますわ〜」
「う……確かに、この痛みが毒のせいで……その、キスでこの苦しみから解放されるなら……」
子供じみた解決案、それでもそれにすがりたくなるほどに腹部から広がる痛みは重く、苦しく。
「ね? 悪くないでしょう……?」
「ああ、そうかな、そうかもしれない……」
熱にうなされたような言葉を紡ぎながら、エルザとクラリーチェが身を起こそうとした時――

「――ただの食べすぎです、馬鹿な妄想は程ほどにして安静になさい」
冷静かつ正論なその言葉が、冷たく二人を貫いた。
「大体貴女達、子供の前で何をなさるおつもりかしら?」
「その、クラリーチェ殿、エルザ殿……えこはまだ子供なので……その、目に毒だと思われます」
ペトラの隣に立つヴァイスは心なしか顔が赤く、その手は所在無さげに揺れている。
おそらく、えこの目をふさぐか否か、迷っているのだろう。
「ああん、ペトラもヴァイスも、そう思うならえこを連れて外に出ててくださいな〜」
「馬鹿なことをいうんじゃありません、まったく……夕食抜きとはいえあんぱんを7個と8個ずつ食べて腹痛なんて……馬鹿馬鹿しい」
「ご、ごめんペトラ……その、反省してる、本当に、心の底から……」
「当たり前です。しばらくあんぱんは自粛なさい」
「ええっ!? う、うぅ……これは、手厳しい罰だな……」
反省はしてるもののさすがに応えたのか、エルザはしゅんとして布団を頭までかぶってしまった。
「あんぱん中毒のエルザからあんぱんを取ったら、ますます治りが悪くなると私思いますの〜」
「おだまりなさい」
「えるざおねーちゃんとくらりすおばちゃん、おうじさまとおひめさまなの! ちゅーして治るの!」
「……えこ? 言い直しなさい? いつも言っているでしょう? お・ね・え・ちゃ・ん、ですわよ?」
「……クラリーチェ殿、とりあえず今は体調の回復を最優先に考えていただきたい……」






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友人らと月二回締切りを設けてやっている企画(テーマの単語を決めて後は自由にそれぞれが書く)の第一回目に書いた奴。
お題は「毒」でした。毒……?
まあ言い張ったもの勝ちの企画なので!
スーパーで安売りしてるあんぱんがワゴンに入ってたら、軒並み買っていっちゃいそうだよね、エルザ。
そんな妄想から生まれた産物でしたとさ。
身内にはクラリスがカワイイと言われましたよ、カワイイ、のか?

どうでもいい余談ですが、この企画をやってる他の友人はアルカナをかじる程度にしか知らないのでした。
なのにわざわざアルカナ(主に双璧縛り)でやってる私を許してくれるいい友人たちです、いつもありがとう。
これの在庫が結構な数(10以上)あるんで、しばらくはこれをぽちぽちうpって更新かもしれませんね。