真っ白な世界を前に、クラリーチェは目を閉じた。
脳裏に浮かぶ懐かしい光景、それを写しとるように手が動き出す。
白だった世界にはたちまち木が、草が、雲が描かれて行く。
「クラリス、絵、上手いんだね」
不意に声をかけられて、クラリーチェは意識を目の前の遠い世界から引き戻した。
そこには呆気にとられたような表情でエルザが立っていた。
「そんなに大したものではないと思いますわ」
「そんな事ない、びっくりしたよ」
エルザはまじまじとクラリーチェの手元を見つめる。
淡い色使いで途中まで塗られている絵はどこかの風景だろうか。
エルザは自分の記憶を辿ったが、そこに合致するような風景は思い出せなかった。
「これ、どこかの国かい?」
「魔界ですね。私がよく子供の頃に遊んだ丘ですの」
「魔界……聖霊界、か」
描かれた絵はぱっと見この物質界でも見られる似たような風景とそうかわりない。
「もう随分昔の記憶ですから、ところどころ間違っていそうですけどね」
そう言いながらクラリーチェは傍らに置かれた色鉛筆に手を伸ばす。
長さが不揃いのそれらに、エルザは見覚えがあった。
「それは、さっきの?」
「ええ、えこがプレゼントしてくれたものですわ」
「本当に使いかけなんだなあ」
「なんだか温かみがあって、いいじゃないですか♪」
今日はクラリーチェの誕生日だった。
皆が思い思いのプレゼントを彼女に渡すと、えこは自分が使っていた12色の色鉛筆をクラリーチェにプレゼントしたのだ。
自分は新しいものを聖霊庁の人に買ってもらえたから、というえこに皆は少し苦笑したが、クラリーチェは大いに喜びそれを受け取った。
「子どもらしいプレゼントですわ。なんだか嬉しくなっちゃいました」
「そうだね」
使いかけではあるが、それらは12本全てまだ十二分に使える状態だった。
クラリーチェはその中から濃い緑を取り出し、淡い緑に塗り重ねて良く。
それを見つめていたエルザはふと心に不安がかすめていくのを感じた。
「クラリス」
「はい?」
「……帰りたい、かい?」
エルザの言葉にクラリーチェはきょとんとする。
そんなクラリーチェに構わず、エルザは描きかけの絵を手にとった。
絵はその人の心境が出やすいと言う話を聞いたことがある。
線の強弱、木々の描かれ方、そして色使い。
エルザはそういうことに詳しいわけではなかった。
それでも今、この絵を見ていてふと感じる何かがあった。
それは言葉にするなら恐らく「寂しさ」。
何故かは分からない。ただエルザはこの絵に漂うそこはかとない寂しさのようなものを感じ取った。
「魔界、懐かしいのかな、ってさ」
クラリーチェの故郷、エルザはそこを詳しくは知らない。
この光景そのままの場所があるのか確かめる術もない。
「うーん」
クラリーチェはエルザの手からそっと絵を取ると、机の引き出しを開け一枚の絵を取り出した。
そして、二枚を並べる。
「あれ、その絵」
並べられた絵を見てエルザは一瞬目を丸くしたが、直後ぷっと吹き出した。
そこにはお世辞にも上手いとは言えない、しかし妙に味のある奇妙な人形の絵が並んでいた。
「えこが描いた絵だね?」
「ええ、塗り絵塗ってねって、一緒にくれましたの」
「あれ、じゃあ色を塗ったのは」
「ええ、私ですわ」
なかなかに面白かったですわ、と続けてクラリーチェは絵をなでる。
「エルザ、それを見て何か感じます?」
「えっ」
唐突に質問を投げられて、エルザはどきりとする。
クラリーチェの意図するところは読めなかったが、示された絵をとりあえず見つめてみた。
クラリーチェらしき人物を中心にローゼンベルク支部の面々が描かれている。
クラリーチェの両隣にはえことエルザが描かれ、皆一様に笑顔のようだった。
そしてそこにのせられた色は、心なしかとても明るい。
見つめていると自然と笑みが溢れるのは、えこの絵が微笑ましいから、だけではない気がした。
ふと視線を感じエルザは顔をあげる。
クラリーチェが何かを期待するような笑顔で見つめてきていた。
「え、えっと」
「私、人間の心理学にはまだまだ明るくないんですけれど」
クラリーチェは視線を絵の方に移す。
「人の心は、絵に何らかの影響を及ぼしたりするそうですね?」
「うん、私もそれは聞いたことがある」
私も、詳しくはないけどね、とエルザは続けた。
「エルザは、こちらの絵になにか感じたんですの?」
自らが描き起こした故郷の絵を指さして、クラリーチェが更に問う。
エルザは一瞬ためらったが、一つ息を吸うとそっとクラリーチェの手に自分の手を重ねた。
クラリーチェの表情が少しだけ揺れる。
「寂しそうな色使いだなって。思ったんだ」
「じゃあ、こちらは?」
続いてもう一度、えこの塗り絵を示される。
エルザは少しだけクラリーチェの手を強く握った。
「こっちは凄く明るい……なんていうのかな、楽しそうっていう感じがした」
「きっと正解ですわ、どちらも」
「……」
クラリーチェは故郷の絵を手にとると光に透かして眺めた。
「こうやって描いてはいますけれど、自信はないんですの」
「自信?」
「ええ、ここは本当にこういう場所だったでしょうか、って」
ひらひらと絵を振れば、光と影が新たな色を絵に載せた。
「でも記憶は確かにここはこうだった、と言っているんです。けれど年月が経って、いつまでもそこが自分の記憶と同じ場所でいるとは限らない。私は退屈が嫌いですから変わっていくことは嬉しいですけれど、それを見られないのは少し寂しいですわね」
「クラリス……」
「でもね、エルザ」
掲げていた絵を机に置き、今度はえこの塗り絵を手にとる。
絵の中のクラリーチェには本当に楽しそうな笑顔が刻み込まれていた。
「見てくださいな、この絵。私、いつもこんな顔していますのね」
「え?」
クラリーチェはいとおしげに絵の中の自分を撫で、次いで隣に描かれたエルザの頬を撫でた。
エルザは自分自身が撫でられたわけでもないのに妙なこそばゆさを感じる。
「えこには私がこう見えているんですのね。それに比べると、貴女は少し表情が堅い気がしますけれど♪」
「う、そうかな」
言われてみればそう見えないこともない。笑顔には変りないのだが、クラリーチェのそれと比べると確かに若干笑顔が堅いようにも見えた。
「届かない過去、故郷、捨てたわけではありませんし、時には思い出すこともありますけれど」
絵から離れ、クラリーチェはそっとエルザに頭を預けた。
「でも私はやはり、今を描く事の方が楽しいんですの」
「クラリス……」
「こうやって、皆に誕生日を祝ってもらえて。これから先もずっとここでの世界を、幸せを描いていきたいんですの」
体にかかる重みが、とても暖かい。
エルザはそんな事を思いながらクラリーチェの肩にそっと手を回す。
「私が怖い事があるとすれば、そう。故郷を忘れていくことよりも……今を失うことの方が余程、恐ろしいですわ」
その言葉に、思わずエルザは肩に回した手に力を込め、クラリーチェの体を引き寄せた。
「あら」
驚きにクラリーチェが目を丸くし声をあげる。
エルザは構わずその身を抱きしめた。
「これからも君が、寂しさを感じないように努力するから。……ずっと、明るい絵を見ていたいし、君はそういう絵を描いて欲しいと思うから」
「あらあら」
「で、でも勿論無理はして欲しくない。寂しい時はそう言って欲しいし、無理に明るく振舞ったりして欲しくない。だからその、せめて私にはそういうことを隠さないでいて欲しいというか……ちゃんと言って欲しい」
「うふふ」
早口でまくし立てるエルザに、クラリーチェは更に身を寄せる。
甘えて擦り寄る猫のように、心地よさげに目を細めエルザに全てを預けて。
「幸せに、してくださいますの?」
「うん、私に出来るなら……出来る限りの事を」
即答したエルザにクラリーチェはますます笑みを深めた。
「――あらあらまあまあ、まるでプロポーズ、ですわね♪」
「えっ!?」
唐突に飛び出した思いがけない言葉にエルザは思わず声を上げた。
全身に一気に血がめぐり、体温が急上昇して行く。
「え、あ、そんな、プロポーズって、ええ?」
「あらあら、違いますの?」
「い、いやそんなつもりじゃ、いや、別に全く違うかって言われると……ああ、もう! クラリスは意地悪だ!」
身を引こうとしたエルザにクラリーチェは笑ってしがみつく。
エルザはじたばたと暴れ、赤面した顔を見られないように顔を背けた。
「ねえ、エルザ?」
クラリーチェは二本の色鉛筆を取り出す。
エルザは不満と恥ずかしさが綯い交ぜになった表情で、差し出されたそれを見つめた。
青と紫の二色が、すいすいと空に見えない線を引く。
「これからもずっと、貴女と……皆と、素敵な世界を描いていきたいと思いますの」
「……うん」
「頑張りましょう、ね?」
「…………うん」
エルザは今一度、クラリーチェの体を抱きしめた。
その顔から赤は消えていなかったが、幸せそうな微笑も見て取れた。
「改めて――言わせて。誕生日おめでとう、クラリス。また来年も皆と幸せにこの日を迎えられるように私は強くなる」
「ええ、ありがとうございます、エルザ。でも貴女も、無理はダメですからね?」
クラリーチェの手の中で青と紫が交差する。
それに習うようにクラリーチェもエルザを抱きしめ、その温もりに安堵した。
まるで、遠い故郷にいるかのような温かさがあった。
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友人らと月二回締切りを設けてやっている企画(テーマの単語を決めて後は自由にそれぞれが書く)のいつだったかにに書いた奴。
お題は「色鉛筆」でしたとさ。
クラリスって結構色々な事が人並みにこなせる気がするんですよねえ、絵もそれなりに描けそう。
どうやら甘々なものが書きたかったようで、終りの辺りとか今見返すと机バンバンしそうになりますね。_(__)ノ彡☆バンバン
ひとまずこれで二人の誕生日SSって去年と今年連続で書いてるんですけど、
どうもエルザ誕生日SSは皆でお祝い系、クラリス誕生日SSは二人っきりちょっぴり甘ス系になるみたいで。
来年も書けたなら趣向を変えてみようかしらかしら。