涼風を呼ぶ声



ちりん、と指先で涼し気な音がした。
クラリーチェはその音の主、自分の指先で触れるガラス細工に恨めしげな視線を向ける。
これを手に入れた時にはとても軽やかな気分だったのだが、今はすこし落ち込み気味だ。
「もう4月も終わりますのに、ここのところ寒すぎますわ〜」
季節は春も半ばを過ぎ、後十数日もすれば初夏とも言える頃になる。
それなのにここの所妙に肌寒く、初夏どころか春もどこかへ逃げて行ってしまったかのようだ。
日によっては冬と言っても差し支えない冷え込みさえする。
そんな日々の中では、クラリーチェが今手にしたガラス細工――風鈴と呼ばれるそれが奏でる音も効果を発揮しない。
仕事の合間をぬって街に出ては自分の興味を引いたものを片っ端から見て回る。
それがクラリーチェのささやかな楽しみであったが、この風鈴もほんの数日前に散歩の途中で見つけたものだった。
色とりどりの見事ながらと涼やかな音につられ、つい一つ買ってきてしまった。
その日に限って久々に外は暖かく、このまま気温が上がり続けるのだろうと錯覚したのは罠だったのかもしれない。
次の日からまた気温は下がり、風鈴を飾り付けるタイミングを見失ってしまったのだ。
「折角、エルザを驚かせようとしましたのに」
風鈴と言うものを知識で知ってはいても実物を見たことがなかったクラリーチェにとって、風鈴は不思議なアイテムだった。
エルザにいたっては風鈴と言うものを知っているか怪しい。
任務に疲れたエルザを、涼やかな鈴の音が出迎える。
あえて予備知識無しにエルザにこの音を聞き、この見事な造形を見て欲しい。
そう考えたから、クラリーチェはまだエルザに風鈴のことを話ていない。
「でも、今日はこれから暖かくなるって言ってましたし……」
現時刻は正午近く。少しずつ高くなっていく太陽と、それに伴いほんのりと上がる気温を感じられる。
「エルザもお昼過ぎに戻ってくるでしょうし、つけておいちゃいましょう♪」
淡い期待を込めて、クラリーチェはエルザとの二人部屋の窓に風鈴をくくりつける。
爽やかな風が風鈴を揺らし、ちりんちりんと音を奏でた。
クラリーチェはそれを満足げに眺める。
正直なところ、クラリーチェは自分自身が部屋で揺れるこれを見たくて仕方なかったのだ。
しばらく揺れる風鈴を見つめ続け十数分経った頃、部屋の外からペトラが自分を呼ぶ声が聞こえクラリーチェは後ろ髪を引かれる思いで自室を後にした。

ちりん、と部屋の中から音がした。
午前中の仕事を終えたエルザは扉のノブに手をかけたまま一瞬立ち止まる。
部屋の中では軽やかな音が響いている。
エルザは耳慣れないその音に首をかしげたが、音以外に異常な気配は特に感じられない。
念のためクラリーチェが中にいる事を予想して扉をノックし、返答を暫く待つ。
しかし中から聞こえてくるのはちりんちりんという音だけ。
「まだ戻ってないのかな?」
エルザは扉をそっと開けると中を覗き込んだ。
自分の部屋でもあるのだからそんなに慎重になることもないのだが、なんとなく静かに入った方がいい気がしたのだ。

ちりん――

扉を引くに合わせて音が転がる。
エルザは自然その音の源を探し、窓際にそれを見つけた。
「……鈴?」
静かに扉を閉めると、部屋の中の空気が波打ち鈴を揺らす。
その音に引きつけられるように、エルザは窓際へと歩み寄る。
「わぁ……」
間近でそれを確認し、エルザは感嘆の溜息をついた。
透明な球体のような形をしたガラスに鮮やかな青や赤の模様が散っている。
中にある透明な玉が結びつけられた短冊が揺れる度につられて動き、半球に触れて音を鳴らす。
仕事が一段落し、少し疲れていた体にその音がじわりと染み入ってきた。
「なんだか涼やかな音だなぁ」
エルザは揺れる短冊をそっと撫でてみる。
チリンと少し短い音が響いた。
「でも、これ……なんだろう?」
エルザは改めてまじまじと鈴を見る。
その見事なガラス細工は本当に綺麗だったが、いまいちそれがなんなのかを測りかねた。
鈴であることは多分間違いないだろうが、それにしてはガラスとはちょっと危うい材質な気がする。
そもそも何故鈴が窓に掛かっているのか。
これでは風がふく度に玉がガラスにぶつかり、強風でも吹いた日には割れてしまわないだろうか。
ふと思い至り、エルザは短冊をそっとつまんで揺らしてみた。
涼やかで軽やかなその音は、どこまでもどこまで流れていきそうだ。
事実部屋の中で鳴るその音は、扉の向こうにいた自分にしっかり届いたのだから。
その音は、決して大きいものではないというのに。
「あ、もしかして」
エルザは鈴にそっと手を伸ばす。
出来る限り綺麗なガラス面には触れないようにしがらそれを手に取り、少し目の前にかざして微笑んだ。


「…………」
夕方、自室に戻ってきたクラリーチェは目の前にぶら下がる風鈴に首を傾げた。
頬を指で叩き、数分考えてみたが答えはでない。
仕方なくクラリーチェはそれをそっと手にとると、
「戻りましたわ、エルザ」
扉を開き、自分の部屋の中へと体を滑り込ませた。
「あ、おかえりクラリス」
クルクスの手入れをしていたエルザが顔を上げて出迎える。
しかしクラリーチェの手の中にある物を見た瞬間、エルザはきょとんとした表情で動きを止めた。
「これ、外に出したのはエルザですか?」
「ああうん、たまたまシール式のフックがあったからつけておいたんだけど」
「どうしてですの?」
「どうしてって、ええと……間違えたのかな、私」
クラリーチェは半球の上に結わえ付けられた紐を摘み、ちりんちりんと鳴らして見せる。
「それ……呼び鈴じゃ、無いのかい?」
「――あらあら、まあまあ」
不安げに言うエルザの困ったような表情に、クラリーチェは思わず吹き出してしまった。
「な、なに? なんだったのさ、それ」
「んもう、エルザったらおちゃめさんですわー!」
言いながらクラリーチェはエルザに飛びつきその体を抱きしめる。
「ちょ、クラリス、危ない! 鈴が割れちゃうよ!」
「大丈夫ですわ〜。エルザ、これは風鈴っていいますのよ」
「ふうりん?」
エルザの疑問符を浮かべた反復にクラリーチェは笑顔で頷き、風鈴を傍らに置くと自分の蔵書の中から風鈴の事を載せているものを探し出しエルザに説明を始めた。
エルザは始めて知る風鈴という存在にただただ感嘆し、先程の音に対する安堵感への理解を深めた。

楽しげに説明を続けるクラリーチェと、それを微笑みながら聞くエルザ。
その傍らに置かれぶらさがれない風鈴は、ころりと転がると乾いた音を一つだけ鳴らした。






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友人らと月二回締切りを設けてやっている企画(テーマの単語を決めて後は自由にそれぞれが書く)のいつだったかにに書いた奴。
お題は「硝子」でしたとさ。なのでガラス細工な風鈴イメージで。
硝子より陶器風鈴の方が普通多くね? とかいうツッコミはとりあえず却下で。
5月6月のなんかやたら寒かった時期に書いたので、現状の暑さを思うと若干季節外れですねぇ。
風鈴ってのは割と独特な文化な気がしているのですよ、エルザなんか知らないんじゃないかなあと。
クラリスなんかは街で見かけたり、本で見かけたりしてすぐに興味持って知ってそうな気もするんですが。
まあだからって、繊細なガラス細工を呼び鈴と間違うのもどうなんだと思わないこともない、エルザお茶目さんだから仕方ない。