星に願いを



その夜は、緩やかに吹く風が少し暖かかった。
温かな風は夜空を見つめるエルザの頬を撫でる。
しかし、温もりはその心までは届いていなかった。

夜のローゼンベルク学園屋上、なんとなく訪れたその場所でエルザは遠くに瞬く星を見つめていた。
この空は世界に続いている、今もこの空の下、世界中の人々が一生懸命生きている。
人工芝の敷かれた地面に座り込み、後ろ手についた両腕に体重を預けて目を閉じる。
時計の針の音が聞こえる。
傍に時計は存在しないのに、エルザにははっきりと時を刻む秒針の音が聞こえていた。

世界各地でもうすぐ、聖霊庁によるドレクスラー機関壊滅作戦が行われるという。
そのきっかけとなる調査をしたのは自分達だから、それは決して他人事ではない。
まだ直接作戦に関わるかどうかの指示は受けていないが、関わるにしても関わらないにしてもそれは大した問題ではない。
問題は、その作戦のためにまた多くの人々が傷つくこと。
誰も傷つけずに、平和な世界がくることはないのだろうか。
そんな日が来れば、自分のような存在は必要なくなる。
それでも、そんな世界が来ることを望んでやまない。

先日ローゼンベルクに戻ったシャルラッハロートは言った。
聖霊の力で不老となって幸せかと。いつまで闘い続けるのか、そしてそれに意味はあるのかと。
エルザは答えた。
いつまで闘い続ける運命なのかはわからない、それでも君が幸せになるまでは闘うと。

自分一人の力など高が知れている。
多くの人の助けがあったからこそ、自分はまだここで闘い続けられる。
身近な誰かを幸せに出来ず、世界の平和を望むなんて馬鹿げているだろう。
だからシャルラッハロートにはそう答えた。
それにシャルラッハロートが納得したかはわからない。
けれど納得してもらえなくとも構わない、自分自身が言った言葉を現実にするだけだ。

なのだけれど。
もう、どれほどの時間、同じ想いを抱きながらこうしているのだろうと。
そして、その間自分の言葉を少しでも形に出来ただろうかと。
そんな疑問を覚えてエルザは今、一人物思いにふけっている。
どれほど考えても答えは出ない。
自分のしてきたことに自信が持てないのか、それはそれで情けない話だ。
身近な友人達は自分のしてきたことを認めてくれている、それはとてもありがたく、励みになる。
それでも終わりの見えない……そもそも、何をどうすれば何が終わるのか、それがわからないままでは全ての不安は拭い去れなかった。

世界が平和でありますように。
その願いはとてもありがちで。
それなのにいつの時代も望まれた願い。
叶った事など、きっとない。

「あぁ……人は、身勝手だなあ」
自分はもう人とはいえないのだろうけれど、と心の中で自分自身に皮肉を呟きながら、エルザは空を見上げたままため息をついた。

藍色の空に瞬く星々。
それに囲まれた白い月。
その柔らかな光達に眼を細めながら、エルザは夜空に眼を凝らす。
その間を駆け抜けていく光がありはしないかと。

流れ星に願いを託す。
とても幼稚なおまじないだと笑われても仕方がない。
それでもエルザは流れ星を探す、心の内に秘めた願いを素早く願う用意をしながら。
けれど今は別に流星群が見られるとか、そういう予報がされている時期でもない。
当然流れ星なんて珍しいものがすぐに見られるはずもなく、ただいたずらに時は過ぎていく。
夜空を見上げているのも疲れて、エルザは少し長く眼を閉じた。
首を回して凝りをほぐし、温かな風を吸い込んでから視線をまた空へ。
真っ白な月の光が目を焼いた。
太陽ほどではないけれど、その白さは直視するには少し強すぎるように感じる。
エルザは眼を細め、月の脇で一際輝く白い星に意識を寄せた。

――ああ、明るいなああの星。

あの星が流れたらさぞ大きな願いがかなうだろう。
何の根拠もないが、そんな想いが胸をよぎる、

――こんな事がシャルラッハロートに知れたら、それこそ笑われてしまうんだろうなあ。

流れる星に願いを託すなんて、シャルラッハロートから見れば責任の丸投げかもしれない。
それはわかっているのだけれど、時には奇跡にすがりたくもなる。

――ああ、なんだろう。星が、降って来るように見えるな……。

どういう眼の錯覚か、意識を寄せた白い星が少しずつ大きくなっているように見えた。
いっそ星のかけらでも手に出来たなら。
その星を世界各地で投げ続ければ皆の願いを空に届けられるのではないかなどと、よくわからない考えが浮かんでくる。

――馬鹿だなあ、星が降ってくるなんて、それこそありえない話なの、に……

しかし。
その白い何かは確実に。
ありえない事態を予想し切れなかったエルザの額に、それなりの速度で軽やかに。

「あ痛ッ――!?」
思わず出た言葉は反射的なものだ。
痛みなどまったくない、こつんとした衝撃はあったが、それはあくまで軽い。
とっさに伸ばした手が、自分の額で弾けたそれを地に落ちる前に受け止める。
握った手のひらをそっと開けば、その中心でかわいらしい白の塊がころんと転がった。

「あぁ、失敗してしまいましたわ、もう一度ですわ〜」
「クラリス!?」
突然の闖入者にエルザは驚きの声を上げる。
いつからそこにいたのか、クラリーチェが自分の隣でなにやら小さな包みをごそごそと探っていた。
「い、いつからいたのさ!」
「ほんのついさっきですわ。エルザがいつまでも戻ってこないから心配して探しにきましたの」
「あ、うん、それはごめん……」
エルザがここに来てからどれくらいの時間が経過しているのか正確な所はわからなかったが、あまり短い時間ではないらしい。
エルザは素直に謝罪し、クラリーチェの手元を覗き込んだ。
「あれ、それ」
「食べます?」
言ってクラリーチェが差し出した手の上には小さな星――金平糖が五つ、転がっていた。
「って、これ、舞織の妹さんから私がもらったお菓子じゃないか」
「ええ、そうですわよ?」
「べ、別に隠してたとかそういうわけじゃないけど、どうして持ってきたのさ」
「気まぐれさんですわ」
言い方に少しそっけなさを感じたが、エルザはそれについてはそれ以上追及しなかった。
もらったのは自分だし、それをまだ開封してはいなかったので、クラリーチェがここにそれを持ってきつつ食そうとしているのはちょっと勝手だとも思うのだが、自分の相棒の気ままさは十二分に理解している。
元より一緒に食べようと思っていたものだ、順序がおかしくてもとりあえず気にするほどではない。
エルザは自分が受け止めた白い金平糖とクラリーチェの手の上の金平糖を交互に見やり、首をかしげる。
「でもなんで、金平糖が降って……」
「私がおまじないに失敗したからですわ」
「え?」
エルザの疑問の声に構わず、クラリーチェは金平糖を一つ空に放り投げた。
そしてそれを器用に口で受け止めてから、エルザを見つめる。
「……行儀悪いよ、クラリス」
「おまじないなんですから、許してくださいな」
「何、そのおまじないって」
「金平糖を五つ、空に放り投げて全部ちゃんと口で受け止められたら、お願いがかなうんですわ」
「……そうなの?」
クラリーチェは二つ目の金平糖を空に放り投げ、また受け止める。
「そんなおまじない、初めて聞いたよ」
詳しいわけじゃないけど、と続けようとしたエルザにクラリーチェはにっこりと微笑みながら言った。
「ええ、私が今作ったおまじないですから」
「……」
絶句したエルザを横目に、クラリーチェは三つ目の金平糖を空に投げる。
その高度は少しずつ上がっているように見えた。
「く、クラリス、あのね……」
「いいじゃありませんか。おまじないに限らず、何かを叶えるための魔法も行動も、まず自分がそれを信じる事から始まるでしょう?」
突拍子もなさ過ぎるクラリーチェの行動を咎めようとしたエルザの言葉は、クラリーチェの真剣な声に遮られた。
「信じればそれが力になる。きっかけが思いつきのおまじないだっていいじゃないですか」
それがその後の自分の活力になるのなら――と続いた言葉と共に、四つ目の金平糖が空に舞う。
「甘くて美味しいですわね、このお菓子。ちょっと悔しかったりしたんですけど、お菓子に罪はありませんから許してあげちゃいます」
「え、何の話?」
「何でもありませんわ」
エルザの疑問を受け流して、クラリーチェは五つ目の金平糖を空に投げた。
それはそれまでよりも高く高く放り投げられ、一瞬その姿を夜空に溶け込ませたが、数秒の後にはクラリーチェの口の中へと吸い込まれていく。
「――うん、成功ですわね♪」
「……あ、うん。おめでとう」
それ以外にかける言葉が思い浮かばず、エルザは戸惑いの視線をクラリーチェに投げかける。
そんなエルザにクラリーチェは改めて金平糖を差し出した。
「エルザも、やってみません? 私が今思いついたおまじないに願いを託すなんて馬鹿げてる、なんて思うかもしれませんけれど、これで案外効果があるかもしれませんよ?」
「あ……うん」
差し出された金平糖から四つだけ受け取ったエルザに、クラリーチェは首をかしげた。
「さっき、これをもらったから。四つでいいよ」
言って最初に降ってきた白い金平糖を手のひらに転がす。
クラリーチェは頷くと残された一つを普通に口に運んでから、にこにことエルザを見つめた。
「あ、あんまり見ないでよ、失敗したら恥ずかしいから」
「大丈夫ですわ、エルザならきっと成功しますから」
「う……うん」
ピンク色の金平糖をつまみ、じっと見つめる。
そこでふとした疑問が浮かび、今一度クラリーチェを見やった。
「そういえば、クラリスは何をお願いしたんだい?」
しかしクラリーチェはその問に意地悪な微笑を返す。
「秘密、ですわ♪ よく言うじゃありませんか。お願い事は人に言ったら叶わない、って」
「あ、ああうん。ごめん。それじゃあ」
「ええ、エルザもお願い事を私に言う必要はありませんわ」
「わかったよ、よし……」
「リラックスですよ、エルザ。肩に力が入ってますわ」
その言葉にエルザは頷き、今一度ピンク色の金平糖を見つめる。

一つ、深呼吸。
根拠も何もないお遊びだ。見る人から見ればそうだろう。
どんな願掛けも形はあまりにも曖昧だ。
けれどそれが自分の力になるのなら。
そんなお遊びは決して悪くない。
そう、自分が流れる星に願いを託そうとした事も。
笑われたとしても、自分にとって意味があるのなら、問題はない――

ピンク、緑、黄色、青。
どうか、世界に平和が訪れますようにと。
エルザの願いを託された色とりどりの星が空を舞い、受け止めた舌に甘さが広がる。
少しずつ高度を上げ、受け止めることの難易度が上がっていくそれは、未来に待ち受ける困難を暗示しているようでもあって。
最後の白が、高く高く。

月に星が重なった。
一瞬眼が星を見失う。

――大丈夫、貴女の願いが叶うように……貴女の幸せを、私は願い続けていますから――

慌てかけた心に、声が響いた気がした。
自然、動きを止めたエルザの舌を掠めて、柔らかな星が喉に落ちていく。
思わず喉を動かせば、それを迎え入れた胸にほのかな甘みが広がって行き――

遠く空に浮かぶ月の傍に、一筋の光が流れていった。







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友人らと月二回締切りを設けてやっている企画(テーマの単語を決めて後は自由にそれぞれが書く)のいつだったかにに書いた奴。
お題は「天上の星」でしたとさ。某音ゲーのタイトルだったりしますが。
星を素直に書かず金平糖と絡めてみたりしましたが、これを書いた当人は金平糖食えなかったりします(甘いのは比較的苦手なものが多くて……)

七夕の時期に書いたものではないんですが、そういや今日七夕だし星関連のSSだしこれをうpするか! と思いまして。
今年の七夕も雨がふってしょんぼりですね、でも年に一度の逢瀬の日に、地上の人から邪魔されず二人でラブラブ出来るのかもしれんと思ったり思わなかったり。
ちなみにエルザが最後に放り投げた金平糖は、最初の内に手に長くあったせいで少し溶けていたのかもしれません。
じゃないとちょっと喉に引っかかってんっがんっぐってなりそうだww