その苦しみを止める術



「クラリスが、死んでしまうかもしれないんだ」

その言葉を紡ぐ声は思いのほか落ち着いていた。
内容が内容なだけに、それを聞いていた舞織は一瞬言葉を失う。
「力を貸して欲しい」
瞳を伏せたまま、目の前の友人……エルザはつぶやくように言う。
「あの……エルザ様? とりあえず、状況をお教え願えますでしょうか?」
「私は落ち着いてるよ、舞織、だから私なんて心配してくれなくていいんだ、とにかくクラリスが――」
「エルザ様、落ち着いてください」
明らかに混乱していることを伺わせる言葉の羅列。
舞織はどうしたものかと思案するが、やはり詳しい話を聞かなければどうすることもできない。
舞織に聞き取れるか聞き取れないか微妙な音量の声で何事かつぶやき続けるエルザにかけるべき言葉を探していると、客間の襖を軽く叩く音がした。
そっと立ち上がっても、エルザは視線でさえ追ってこなかった。
「舞織、お茶を持ってきたよ」
静かに襖を開けば、そこには姉の鼓音が湯のみを乗せた盆を持って立っていた。
「ありがとうございます、姉さん」
「深刻な話かい? 私達も手伝えることがあるなら言ってくれればいい」
「はい。でもまだよくわからなくて……」
クラリーチェが死にそうだ、という話はとりあえず伏せておく。
「お姉ちゃん、これ」
「エルザお姉ちゃんと、食べてー」
妹の小唄と小糸が廊下を早足で駆け寄ってくる。その手にはつい先日焼き上げたあんぱんが二つあった。
「ありがとう、小糸、小唄」
その頭を撫でると舞織は一度室内のエルザをみやり、困った表情をしながら鼓音にうなずいてみせた。
「なにかあったらお願いすることもあるかもしれません」
「ああ、遠慮しなくていいよ」
鼓音も心配そうにエルザの様子を見守っていたが、舞織に笑顔を返すとひとまず襖を閉じた。

「エルザ様、どうぞ」
湯のみとあんぱんを目の前に差し出してもエルザは顔を上げない。
これは本当に重症だと感じた舞織は表情を引き締めた。
先程の発現に嘘があるとは思っていない。思いもよらないほどの危険が、彼女の相棒に迫っているのかもしれない。
例えば、ドレクスラー機関の残党が何らかの攻撃を仕掛けてきたとか――
「……らないんだ」
「え?」
「止まらないんだ、昨日から、ずっと」
ゆっくりとエルザは顔をあげる。
その目に不安の色が満ちているのを見て取り、舞織は背筋を正した。
「一体、クラリーチェさんの身に何があったのですか? 止まらないとは……どこか、お怪我でも」
出血やエーテルの流出でもあったのだろうかと口にした疑問は、しかしエルザに首を振られて間違いと知る。
「では、一体」
「しゃっくりが……」
「……え?」
「しゃっくりが、止まらないんだ、昨日の昼から、ずっと……!」
卓の上に置いた握り拳が震えている。
確かにこの上なく"思いもよらない"事態に、舞織は再び言葉を失った。


「落ち着かれましたか?」
「うん……すまない。取り乱して……」
「いえ……」
お茶を少し啜り、エルザは深々とため息をついた。
「こんなこと、相談されても困るよね……でも、医者につれていく程でもない気がして……」
お茶も喉を通らないのか、啜られるそれは唇を湿らせるに留まる。
「100回しゃっくりをしたら死んでしまう、なんていう迷信を信じてるわけじゃない。現にもう100回なんてとっくに超えているしね」
「それは……ゆっくり休んでもいらっしゃらないのでは」
「うん。昨日は一晩中眠れなかったみたいだ」
見ればエルザの目元にはうっすらとクマがある。
おそらく眠れていないのはエルザも同じなのだろう。
心優しいこの友人の事だ、きっと心配でずっと側にいたのだろうと舞織は思った。
「でもやっぱり、このまま止まらなかったらクラリスは弱っていく一方だと思う」
本当ならば医者に連れていくべきことなのかも知れない。
さすがに一日超えて続くしゃっくりなど普通であるわけはないのだから。
とはいえ、二人の身にある事情を理解している舞織はそれを口にしない。
ペトラをはじめとした西欧聖霊庁の一部がローゼンベルク支部として日本に移ってきたということは、西欧聖霊庁の医療機関も少しはこちらに来ているだろうとは思えた。
それでもその数は多くはないだろうし、やはりエルザとクラリーチェの存在は特殊すぎる。
さしものペトラもどうしたものか困っていると教えてくれたエルザが自分を頼ってきた理由、それに舞織はなんとなく気づいていた。
それははたから見ればくだらないとさえ言われてしまうことかも知れない。
それでも、彼女にはいまそれしか頼るところが無いのだろう。
「エルザ様、本当に気休めにしかならないかも知れませんが」
エルザがそれを口にするよりも先に、彼女の目的に気付いていない風を装って舞織は彼女が求める物を口にした。
「これは一種の願掛け……子どもが信じるような"おまじない"程度のことかも知れません。それでも、"しゃっくりを止める方法"として私が知っていることが、いくつか――」
「教えて欲しいんだ、それを!」
全てを言い切る前にエルザが腰を浮かせて舞織に迫った。
その気迫に舞織は気圧され、言葉を止めてしまう。
「あ、ああ……ごめん、驚かせて」
「い、いえ」
目を丸くした舞織にめいっぱい近づいてたエルザははっと我に返ると慌てて身を引いた。
舞織はほう、と息をつくとエルザを安心させるように微笑んだ。
「もう試されていたら申し訳ないのですけれど、ザラメを少し、喉の奥に放り込む、とか」
本当におまじない程度のものだ、とはいえそれでしゃっくりが止まる事も多々あった。
妹の小糸や小唄も時折しゃっくりを起こすが、その時は大抵自分の知るおまじないで解決できた。
「後は、そうですね。おへその上に梅干を貼り付けるとか、そういった方法で過去にしゃっくりを止めたことがあります」
「そうか……ザラメと梅干だね、ありがとう、舞織……!」
「いえ、これくらいしかできなくて。もっと具体的に理由の分かる方法を知っていればよかったんですが」
「十分だよ、本当にありがとう。じゃあごめん、私は急いでクラリスにそれを教えに行くから……」
エルザは冷めかけたお茶をぐいと飲み干すと、ごちそうさまと言って席を立つ。
「エルザ様、これはどうぞお持ち帰りください」
玄関へ向かい足早に去ろうとするエルザを引き止め、舞織は手にしていた紙袋にあんぱんを二つ入れた。
「え、でも一つは舞織のじゃ」
「快復されたら、クラリーチェ様と一緒に食べて下さい。ご快復をお祈りしています」
言いながら舞織はエルザに紙袋を渡す。エルザは照れくさそうに笑い、それを受け取って頭を下げた。
「ありがとう、本当に……それじゃあ、また」
「はい、お気をつけて」
春日神宮の門を抜け、エルザは見送りに来た四姉妹に今一度一礼すると、全速力で駆け出していった。
それを見送りながら、鼓音は舞織に神妙な面持ちで問いかける。
「なぁ舞織、一体何があったんだ? エルザさんは大丈夫なのか?」
妹達も心配げにエルザの背中を見送っている。そんな二人の肩を抱きながら、舞織は柔らかく微笑んだ。
「大丈夫だと思います、心配ですけれど……エルザ様ならきっと止めてくれると思います」
「……そうか。よくわからないけれど、舞織がそういうなら大丈夫なんだろう」
今回の事をエルザは他の人に知られるのをあまり良しとはしないかも知れない。
そう思った舞織は心優しい友人とその信頼する相棒の快復を心の中で祈った。


「うわ、凄い嫌な予感。ヨリコ、隠れよ」
平和な休日の午後。頼子と適当に街をぶらついていたリリカは急に背筋に寒気を感じてうなるように言った。
「え? リリカどうしたの? 虫の知らせ? シンクロニシティ?」
対する頼子は特に何も感じていないようで、隣で立ち止まってしまった半魔の友人を振り返る。
「よくわかんないけどいいからどっか隠れ……」
不思議そうな頼子の袖を掴み、どこかの喫茶店にでもとあたりを見回したリリカの側を、一陣の風が吹き抜け――
「――君は」
そこで、急停止した。
「うわ! 出たな魔族狩り! こんな街中でアタシをどうする気だ!?」
「あ、西欧聖霊庁の……こんにちは」
慌てふためくリリカをよそに、一陣の風の主、エルザは頼子の姿をまじまじと見つめる。
「え? ええと……私の顔に、なにかついてますか?」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、頼子の心が竦む。
しかしエルザの視線に敵意はない。普段なら頼子と共に行動する魔王、ミケに反応して魔族狩りと呼ばれていた頃の姿を垣間見せるエルザだが、この日はどうも様子が違った。
「……なーんか、なに? この世の終わりみたいな顔してますけど」
リリカもそれに気づいたのか、ひとまずむき出しの警戒心をほんの僅かに緩めて相手の顔を見やる。
しかしエルザはあくまで頼子を見つめ、隣にいるリリカには目もくれない。
さすがに面白くないのか、どうしてくれようとリリカが思案し始めた瞬間、
「きゃっ!?」
唐突にエルザが頼子の肩をがしりとつかんだ。
「ちょ!? 何? ヨリコになにする気だー! 離せ! ヒトゴロシー!」
「り、リリカ、落ち着いて、たぶん殺されないと思うよ?」
そういう頼子も流石に恐怖心があるのか顔色が若干青ざめている。
口ではこう言っているが、もしかしたら魔王(という気はあまりしないのだが)ミケランジェロを連れている危険人物として、西欧聖霊庁にマークされているのかも知れないという不安が頭の中をかけめぐっていた。
「教えて欲しいんだ!」
「へ?」
しかし唐突に、懇願するように言い放たれた言葉に、頼子だけでなくリリカも一瞬動きを止めた。
「何かしらないかい、その、しゃっくりを……止める魔法とか、そういうのを!」
「え? しゃっくり? え??」
「何? しゃっくりって……止まらないヤツでもいんの? もうすぐ100回で、このまま止まらないと死んじゃうとか?」
「縁起でもない事言わないでくれ! それに100回なんてとっくに超えてる! そんなのは迷信だ!」
不謹慎な言葉にエルザは思わずリリカを睨みつけながら言い放つ。
その気迫に一瞬殺気めいたものが混じっているのを感じたが、すぐに外された視線と力をなくして行く手にさすがのリリカも押し黙った。
「舞織から二つおまじないは聞いた、でもそれが効かなかったらと思うと怖いんだ。お願いだから、なにか知っていたら教えて欲しい……」
「いやあの、100回しゃっくりしたら死んじゃうっていうのを迷信って言い切っといて、おまじないってアンタ……」
「リリカ、エルザさん真剣みたいだから、からかうのはやめようよ」
「いや、あんまりからかってるつもりはないんだケド……はー、あのキツネ目の魔族がしゃっくり止まらなくて困ってるワケ?」
エルザは力なく頷く。頼子の趣味を調査報告などからある程度知っているエルザは、その知識に手がかりを求めたのだ。
すぐ側で呆れたように鳴く猫のことはとりあえず見ないようにし、アレは本物の猫だと自分に言い聞かせる。
「んなもん、びっくりさせてやればいいじゃん。わーってさ」
「驚かせたよ……! 私じゃあまり驚かせるなんてできないから、ヴァイスやシャルラッハロートに協力してもらって、死角から攻撃をしてもらったりした! けど……驚きはするけど、クラリスは普通に避けてしまうから……あまり効果がなかったんだ……」
「それ、避けなかったらそれで死ぬんじゃ……」
リリカの言葉はエルザには届いていないようだった。エルザは力なく頼子から手を離すと一つ大きく息をついた。
「ごめん、唐突に。そんな事急に言われても困るよね、ちょっと、慌ててて……」
「い、いえ。いいんですけど。ごめんなさい、私もびっくりさせるとか、息を止めるとかそういうことくらいしか」
「息も止めさせたよ、自分じゃうっかり息をしてしまうかも知れないからって私に口と鼻を塞ぐようにお願いしてきた。2分くらいそうしてみて、一瞬止まった気がしたんだけど……」
「それ、意識が飛んだんじゃ……」
頼子のつぶやきもエルザには届かなかったらしい。頼子としてはその方がよかったのでいいのだが。
「もっとさー、イガイな方法でびっくりさせるとかさー」
リリカは呆れたように頭の後ろで手を組みながら言った。エルザの瞳に僅かに光がともる。
「意外な方法……?」
「攻撃ってーかケンカとか、アンタ達日常茶飯事じゃん。そうじゃなくてもっとこうさー、うーん」
そこでリリカは何を思いついたのか、にやりと意地悪な笑みを浮かべてエルザを見た。
「いきなり抱きついてさ、ちゅーとかしてやればびっくりするんじゃない?」
「え!?」
「リリカ……それは確かに驚くと思うけど、ものすごくハードルが高いと思うよ……」
親友の助言に呆れた頼子は固まったエルザを心配げにみやった。が、
「……そう、なのかな、そうなのかな……そうすれば、クラリスはすごく驚いて、しゃっくりも……でも、でも……」
「あ、あの、エルザさん。今のリリカの意見はとりあえず流してもいいと思いますよ、いくらなんでも……」
うわ言をつぶやきだしたエルザの眼前で頼子は慌てて手を振りながら正気に戻そうとした。
どうやら普段は冷静そうなこの人も、今はこの上なく追いつめられているらしい。
元がとても真面目な人なのだろうから、平時から冗談が通じにくいのだろう。それがこんな時に悪友にそそのかされてはどんな暴走をするやらわからない。
しかしそんな頼子の心配を他所に、エルザは顔を引き締めるとリリカに向き直った。
「な、なに? やるってーの?」
「ありがとう、できるかはわからないけど、意外な方法で驚かせるっていうのは……うん、試してみる」
「は?」
「いつかお礼はするから、じゃあ、急いでるから今日はこれで……本当にありがとう!」
現れた時と同じく風のように去っていったエルザに、取り残された二人と一匹はしばし呆気に取られていた。
「……止まるといいね、しゃっくり」
「……今後一生アタシ達に関わらないなら止まらなくてもいいケド」
リリカの容赦ない言葉に、頼子の肩の上に降り立った黒猫が笑うようにあくびをした。


「クラリス!」
「あら、エルザ、ひっく、おかえりなさい、ひっく」
勢い良く扉を開けて入ってきたエルザを、クラリーチェはベッドから身を起こして出迎える。
その口からまだ溢れるしゃっくりにエルザは痛ましげに顔を歪めた。
「もうすぐ、もうすぐ止めてあげるから……」
「ええ、ひっく、そろそろ止まると、ひっく、思うんですけどねえ……」
エルザは机の上に手にしていた紙袋を置くとその中からいくつかのものを取り出した。
クラリーチェはそんな相棒の背中を不思議そうに見つめる。
と、弾かれたようにエルザがこちらを向き、
「クラリス、脱いで!」
「――――ぇひっく?」
クラリーチェがその言葉の真意を理解するより早く、エルザはがばとクラリーチェの体にのしかかる。
「え、ひっく、あら、あら、えるざ……っく?」
ゆったりとした寝間着の裾をつかまれそれを引き上げられると同時に、
「ひゃうん!?」
おへそのあたりに冷たい何かが触れ、思わずクラリーチェは声を上げていた。

「ひっく、え、エルザ、そんな……ひっく、大胆、ですわ」
「……」
「エルザ…………? ひっく」
「ダメ、か」
しかしそれ以上は何もおこらない。
お腹の上のひんやりとした柔らかなものは段々クラリーチェの熱を吸い上げ、温まって行く。
「これじゃ、ダメか……」
言いながらエルザはおヘソに押し当てたそれ――梅干を傍らに置いてあった小皿に落とす。
「ひっく……うめ、ぼし?」
「次だ! クラリス!」
「えっ!?」
何事かと問いただす間もなく、クラリーチェは顎に指が添えられたのを感じた。
瞬時に上を向かされ真剣な瞳をしたエルザが視界いっぱいに映る。
思わず半開きになった口に、なにか冷たいものが滑り込んできた。
「む、ぐっ!?」
ついで、喉の奥に甘い塊が飛び込んでくる。
流石に思わずむせかけたが、思いのほか小さかった塊はすっとそのまま喉の奥に落ちていった。
「けほっ」
「……」
「え、エルザ……一体、なんですの?」
「止まった……?」
「え? ――ひ、っく」
「ザラメも、ダメなのか……!!」
「ザ、ザラメ?」
エルザが小さなスプーンを握りしめたまま震えている。
口に滑り込んだものと喉の奥に落ちていった甘さの正体に気づき、クラリーチェはなんとなく事態を理解した。
「え、エルザ……」
「どうしたら、どうしたらいいんだ! このままじゃ君は……!」
まるでこの世の終わりを迎えたかのようなエルザの姿に、クラリーチェはかけるべき言葉を思いつけない。
まさか自分のしゃっくりが彼女をここまで追い詰めようとは思いもしなかった。
自分も確かに苦しいが、目の前の大切な存在の方がよほど苦しんでいるのではないか、そう思った時。

「クラリス……っ」
やや乱暴に、両頬が温かな手によって挟み込まれた。
少し湿った掌がしっとりと頬に吸いついてくる。
クラリーチェは再び目の前一杯に現れたエルザの姿に心臓が跳ね上がるのを感じた。
苦渋に満ちた瞳にはしかし、何か強い決意のようなものが宿っている。
その視線に真っ向から射ぬかれて、クラリーチェは思わず息を飲んだ。
自然、呼吸が止まる。呼吸が止まっている間は、不快な横隔膜の痙攣もなりをひそめた。

エルザの頭の中では様々な想いが駆け巡り混沌を生み出していた。
目の前で苦しんでいる相棒を助けられない悔しさと情けなさ。
手にした手がかりが確実に消えていく事への絶望感。
まだ全てが失われたわけではないということへの淡い希望。
記憶の呼び起こしと、残された手段への模索と考察。
そしてたどり着いた可能性への躊躇。

「クラリス……」
もう一度その名をつぶやき、エルザはごくりと喉を鳴らした。
事態が飲み込めず、驚いて呼吸を止めているのだろう、クラリーチェの唇からはあの音は溢れない。
「うぅ」
代わりに、エルザの唇からうめきが漏れる。
何も起こらない数秒に緊張がとけたのか、クラリーチェの目が何時ものように細まったのを確認して、エルザは固く目を閉じた。

躊躇いが脳を支配する。
しかし体はそんな心と裏腹に勝手にすこしずつ、しかし確実に動き出す。
どうせなら、瞬間的な行為の方が驚きは上だろう。
ならばもう躊躇ってなどいられない、長い躊躇は相手に予測を立てさせる。
それでは意味がない、意外な驚きになど成り得ない。

もう自分に残された手がかりはこれしか無いのだから、何を躊躇う必要がある――!

瞬間、エルザは自分の頭が後に引いたのを感じた。
それは耐えきれなくなった心が勝手に体を動かした結果だったかもしれない。
しかしそれを理解するよりも早く、エルザは慌ててひとつの可能性を試すべく意識を総動員する。
結果、それは引いていった頭を物凄い速度で引き戻し――

「――っっっ!?」

声にならない悲鳴が、聞こえた気がした。
同時に額に走る鈍い痛みと何か固い物をぶつけたような音。

思わずエルザもクラリーチェもその場で仰け反り、自らの額をかばうように手を当てた。
「い、ったぁああ……」
「え、エルザ、酷い、ですわ……いたた」
涙で滲んだ視界に恨めしげにこちらを見つめてくるクラリーチェが映る。
その額は赤く腫れ、目の端には涙の玉が浮かんでいる。
「私、期待してしまいましたのに、そんな、頭突きなんて、あんまりですわ〜〜〜っ!」
「ご、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ……なんていうか、勢いが……!」
「エルザ酷いですわ〜ッ! 私のいたいけな乙女心を打ち砕くなんて、しかもごっつんこで! ヘッドバットでなんて!」
「なんでそんなに言葉を変えて強調するのさ!? ごめんってば! 謝ってるじゃないか……! ……って、あれ?」
エルザはそこではたと言葉を切り、ずいとクラリーチェに迫る。
その行動にしかしクラリーチェは頬をふくらませるとぷいと横を向いてしまった。
「なんですの? ぷん、もう騙されませんわ〜っ!」
「……止まった?」
「え?」
真剣な声色に流石にクラリーチェもつられてエルザの方をみやる。
その瞳は丸く見開かれ、新たな雫がにじんでいるように見えた。
「クラリス、しゃっくり、止まったのかい?」
「え? あら? あら……」
胸にそっと手を当ててみる。しばらくじっとしてみたが、あの忌々しい痙攣はもうしなかった。
「そのようですわね……あらあらまあまあ」
「良かった……良かった!」
「きゃ?」
唐突に、エルザはクラリーチェに抱きつくと、その身を強く強く抱きしめた。
「え、エルザ?」
「良かった、本当に良かった……ごめん、おでこ、すごく痛むかい? 胸は大丈夫?」
「え、ええ……胸はもう、大丈夫ですわ。おでこはちょっと、じんじんしますけれど」
額に響く疼きにも似た痛みよりも、今は心臓の鼓動の方が少し痛いくらいだ、とクラリーチェはぼんやりと思う。
しかしその痛みは先程までの不快なものではなく、妙に心地よくて。
「本当に、ごめん」
そっとエルザが額と額を寄せる。固いながらも温かな感覚が少しずつ額の疼きを消していった。
「……いいえ、もういいんですの。ただその……エルザ?」
「うん?」
クラリーチェは少し意地悪げな微笑でエルザを見上げると、その唇に人差し指を当てた。
「おでこにキスしてくださいな♪」
「いっ?」
「まだ少し痛みますの〜。でもきっとエルザのキスで消えてくれますわ♪」
「そ、そんな。なんの迷信なんだい、それは!」
「あらあら、エルザだっておまじないで私のしゃっくりを止めてくれようとしたじゃないですか」
「うっ、それは、その……」
「で・す・か・ら。痛みを吹き飛ばしちゃうおまじない、してくださいな♪」
「……うぅ」
エルザは抗議の眼差しでしばらくクラリーチェを睨みつける。
しかし、負い目も手伝い最終的にはクラリーチェのいうおまじないの魔力に屈した。
体を抱きしめていた腕をずらし、頭の後ろに添えそっと引き寄せる。
まるで小鳥が餌をついばむようにそっと額に口付けて、すぐにエルザは唇を離した。
「あらあらまあまあ、随分一瞬ですのね」
「……許してよ、もう」
「ええ、痛みもどこかに行っちゃいましたしね♪」
言ってクラリーチェはふっと体の力を抜くとエルザの胸に頭を預けた。
エルザは再びその体を抱きしめる。
「エルザ」
「何?」
「ありがとう、ございます」
「……どういたしまして」
素直な礼に頬を掻いて視線を宙にさまよわせる。
ふと胸にかかる重みが増した気がしてそちらをみやれば、クラリーチェが穏やかな寝息を立てていた。
ほぼ一晩中、しゃっくりに悩まされ眠ることもままならなかったのだ。
それが消えた瞬間、眠気に襲われるのも無理もない事だろう。
「ふわ……」
それは、ずっとそれに付き添っていたエルザもまた、同じ。
「少し休もうか、クラリス……」
込みあげた欠伸をかみ殺し、エルザはクラリーチェを起こさないように互いの体を横たえる。
すぐに襲いかかってきた眠気に身を委ね、エルザは今一度そっとクラリーチェの身を抱きしめるとまどろみの世界へと滑り落ちていった。

丸一日たっぷりと眠り込み、ペトラに姿を見せることすらしなかった二人。
翌日上司のお小言をもらう羽目になるが、それはまた別のお話。







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友人らと月二回締切りを設けてやっている企画以下略ののいつだったかにに書いた奴。
お題は「方法」でしたとさ。端的すぎて困っちゃうお題。よくあること。
しゃっくりはマジで苦しいですよね、昔はほぼすぐに止められるのが特技だったんですが、最近は歳のせいかうまくできません(歳?)

それにしても酷いタイトル詐欺な気がしますが、たまにはこんなお馬鹿なノリの内容とかでもいいじゃない?
今まで以上に甘々な雰囲気だけど別にいいじゃない? 最後だけだし!
大して内容がない割に、長さだけはあるっていうのが藻クオリティ。
エルザがクラリスにでれっでれ過ぎる気もしますけど、本編ででれない分二次創作ではでれさせてみたっていいじゃない!
さすがのエルザも相棒のしゃっくりが一日中続いてたら心配すると思うの!
普段ドライな分、ただごとでなくなると過剰に心配すると思うの!
YES 希望的観測!