想いは近く、存在は遠く


「ふぅ……」
暗い夜空に浮かぶ月を見上げ、エルザは溜息をついた。
相棒であるクラリーチェは傍に居ない、自室でぐっすりと眠っている事だろう。
自分の手に巻いた包帯に視線を下ろし、もう一度溜息をつく。
「おい、貴様」
背後で、重い気配がゆらめいた。
少しずつ大きく、強くなっていく気配。
「怒り」の感情が含んだその気配がそこにあった事に、エルザは少し前から気付いていた。
「……何かな、大公爵クロマシアス」
「嫌味か」
「そんなつもりは、ない」
エルザの口調はいつもの彼女のものより少し重く、鋭い。
それは魔族と対峙した時のものに近く、ごくごく微量ながらも敵意のようなものを感じさせる声色。
クロマシアスは魔族だが敵というわけではない、けれど強大な魔族であり、それ故にどうしても牴甬遒亮分瓩反応する所もある。

相手が自分に敵意を向けているから尚更に。

振り返らないエルザにクロマシアスは忌々しげに舌打ちした。
「先程の戦い、見ていたぞ」
「それで?」
「貴様を庇ったせいで、あいつは負わなくてもいい傷を負った」
「うん、それも、決して浅くは無い傷を、ね」
再び満月を見上げ、しかし今度は溜息を零さない。

爐△觧海妨修譴疹規模な魔族の群れを殲滅せよ瓩箸いηぬ海砲弔い討い親鷽佑呂燭世舛妨従譴妨かい、任務を遂行した。
しかし小規模ではあったが、その中に一匹他のものより強い魔族が紛れていた為思いのほか手こずる事になる。
低級魔族との乱戦中、不意打ちに攻撃を受けたエルザを庇い、クラリーチェは肩に浅く無い傷を負い、それに憤ったエルザは敵を即座に殲滅した。
その手傷のせいで、クラリーチェは体力を必要以上に消耗し、今現在早めの床についている。

任務自体は果たした、しかしエルザはいつもの如く自分を責める。
自分自身も傷を負ったが、クラリーチェが負ったそれよりは遥かに軽かった。
自分に降りかかる災難は罰として受容れられても、自分のせいで他人が傷つくのは耐えられない、その傷が深ければ尚更だ。
心が痛む事、それさえ罰だとしてもそれだけは受容れられない。
それくらいなら自分から他人と関わることを止め、その結果孤独を覚えようとそれを罰とする。
そう考えるのが彼女の常であり、それをクラリーチェがやんわりと否定するのもまた常だった。
彼女の笑顔に救われ今まで正気を保っている、そういう自覚がエルザにはあった。
けれど、当然今日のような事態を許せるわけでは無い。

「甘えたくないのに、これじゃあ甘えてるのと変わらないね」
普段はあまり見せない自虐的な笑み。それが見えているのか居ないのか、クロマシアスは大きな翼を一度打ち鳴らした。
「貴様のそういう所が、俺は吐き気がするほど嫌いだ」
「あはは。手厳しい、ね」
命の恩人であるクラリーチェが望めば即座に馳せ参じ、彼女の手助けをするクロマシアスは普段は魔界に居る。
しかし今回の任務の場所では次元の歪みが生じており、それをたまたまクロマシアスが察知してその近くに赴いた。
そこで彼は歪む世界の向こうに、クラリーチェがエルザを庇い傷を負ったのを見てしまったのだ。
自分を呼べばこんな事にはならなかっただろうにというもどかしさに苛立ち、そして何より、
「何故、貴様など……」
クラリーチェという魔界公女が、人間の女を護って傷を負ったという事実が許せなかった。
たとえその人間が既に人間と呼べるものではなくなり、クラリーチェ自身も純粋な魔族でなくなっているとしても、だ。
そもそもその原因がこの女に在る。そう思うとクロマシアスはエルザに対し敵意を隠す事が出来ない。
クラリーチェがどう思っているにせよ、物質体に縛られた彼女からは奪われているものの方が多いはずなのだから。
「本当、どうして、だろうね」
エルザの誰に向けたものともしれない呟きに、クロマシアスの苛立ちは余計に募る。

相手の後姿は無防備だ、クロマシアスに向けられる敵意は殆ど自動的なもので、それはさして強くもない。
こちらはずっと強い敵意を向けているのにまるで警戒していない。

このままその背に飛び掛れば。
その細い首に牙を立てれば。
確実に急所だけを噛み砕いて、この女の命を奪ってしまえば。

――クラリーチェは束縛を解かれて、しかし恐らく――

「何故……」
再び、短く呟きクロマシアスは唸った。
この世の咎を浄化する、使命のようでただの呪いでしかないそれで縛られた二人。
その内に宿る命は狷鷽佑念譴牒瓩硫晶蕕瓩諒、それは彼女達と契約した聖霊が告げた"真実瓠
それが意味する可能性という危険を冒すほど、クロマシアスも愚かではなかった。

「………」
満月を見上げたままのエルザは一言も発しない。
ただほんの少し、骨の軋むような音がした。

その背を見つめ、クロマシアスは眼を細める。
敵意は消えない、彼は彼女を好きになることなど出来ない。
ただ認めてはいる、エルザ・ラ・コンティという存在のあらゆる意味での強さ。そして何より、

「………私は、強くなる」

クラリーチェがどれほどに彼女を想っているのかを、識っている。


「チッ」
エルザの言葉を聞いてクロマシアスは身を翻した。
「当たり前だ、二度とこんな事があってみろ。その時は貴様に同じ傷を負わせてやる、うっかり殺すかもしれないな」
「そうならないように努力するよ、私は自分から命を放棄したりしない」
「……………当たり前だ」
わざと砂を強く蹴りながら、クロマシアスは次元の歪みに向かう。
苛立ちを隠そうとせずに、けれどその奥に生まれる、小さくとも強い炎に似た感情が落ちた場所へと砂を掛けていくように。

「大公爵クロマシアス」
次元の歪みへ飛び込もうとしたクロマシアスの背に、エルザの凛とした声がかかる。
クロマシアスは気だるげに首だけを回してエルザの方を見た。
瞬間、全身に戦慄が走り、知らず背中の毛が逆立った。

自分を見据える強い眼差し、そこに自分に対する敵意は無い。
ただ強い意志はエルザの内に在る人間としての使命を宿し、それは魔族であるクロマシアスにとって危機感に似た感情を呼び起こさせた。

「何だ」
「ありがとう」
予想していなかった言葉にクロマシアスは体勢を崩しかけた。
「…………チッ」
警戒していたのが馬鹿みたいだといわんばかりに、舌打ち以外なにも返さず再び身を翻す。
礼を言われるようなことなどしていない、逆に屈辱さえ覚える。しかし、
「常にそういう目をしていろ、そうすれば俺だって心配する事も無い」
「……たまには緊張を解かせてもらいたいな」
自然、何を意識するでもなくクロマシアスは言葉を紡ぎ、エルザはそれに苦笑して答え、
それが二人のこの場での最後の会話になった。


「明日は、晴れるかな……」
クラリーチェの旧知である魔族が姿を消したのを見届け、エルザは背後にある満月を首だけ回して見上げた。
少し遠くに人の気配がする、恐らく聖霊庁の人間のものだろう。
クロマシアスの気配に気づき、人を寄越したのかもしれない。
見つかれば面倒な事になるだろう、普段なら自分に罰を科せられるような事からは逃げないエルザだが、その日は事情が違った。
「クラリスが待ってるし、ここで私が捕まろうものなら彼に次に会った時にどやされそうだな……」
目を閉じ、頭をかきながら息をついて、
「――さて、と」
再び目を開いて、真っ直ぐに自分が帰るべき場所へと視線を向けて。

「帰ろう」

直後、風を纏い走り出したエルザの姿は、宵闇の向こうへと消えていった。






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某所に投下したSS、元データを紛失していてその某所に掘り出しに行ったと言う。
エルザもクロマシアスもクラリーチェが大事だと思うけど、お互いのことはどう思ってるんだろうと。
そんな二人の関係性を一度は書いてみたくて出来た代物。
思ったよりはすんなり書けたそれなりにお気に入りの話だったりします。
うちの双璧はクラリーチェが負傷し、エルザが凹むというシチュエーションが多いのが困る。